「日本語は聞き手責任の言語、英語は話し手責任の言語」ということを聞きました。

日本語は以心伝心で、相手が言わんとしていることを聞き手が察して理解しなくてはいけない言語で、英語は反対に話す方がしっかりと相手が理解できるように話さなくてはいけない言語だということです。

この話、私が以前書いた「日本語はハイコンテクストコミユニケーション」という話と共通しています。

2023年11月26日 日本語はハイコンテクストコミユニケーション

日本の場合は村社会的な要素が強く生まれ育った背景や受けた教育が近い人が多いため、多くを語らなくても相手が勝手に理解してくれ、伝わるという性質があるのかも知れません。一方、移民で成り立っている超多民族国家である米国の場合は、それでは通じません。話す方がしっかりと相手のことを考えて伝わるように筋道を立てて話さなくてはいけないのです。

また、これは言語にかかわらず営業にも共通しています。営業は完全に話し手責任ですね。「お客さんは理解してくれない」というようでは営業として失格です。相手に合わせて相手が理解してくれるように話すのが営業というものです。

たとえ日本語を使ったコミニケーションでも、ビジネスであれば「話し手責任」を肝に銘じ、よく考えて相手が理解できるように話すことが大切なのかも知れません。